「畑の恵み おせちセット2025」 オーガニックにこだわった...
2024.9.30
群馬県昭和村にある、グリンリーフ株式会社を訪れました。東京駅から車で約2時間半、自然豊かな山間にグリンリーフの自社農場と加工場があります。
有機農産物の栽培から加工、販売までを一貫して行う「グリンリーフ」は、今年で創業60周年。長年の経験とノウハウで栽培品目や出荷量も拡大しており、冷凍野菜や漬物などでもお馴染みです。もともとこんにゃく農家であった先代が創業し、どこよりも早く有機こんにゃくの製造・販売を始められたそうです。
今回は「有機こんにゃく」ができるまでの工程を取材してきました。2代目の現社長・澤浦彰治さんにもインタビューのお時間をいただき、有機農業に取り組み始めた当時のお話から、今後の展望までお話を伺いました。
2代目の澤浦彰治(さわうら しょうじ)社長は、1989年(平成元年)にお父様から家業を受け継いだ後、1990年より有機農業へと方針転換を図ってから30年以上取り組みを続けています。道を拓いていくにはたくさんのご苦労があったと想像しますが、それらも含めて有機農業の醍醐味だと言うように、笑顔でざっくばらんにお話いただきました。
スタッフ:
有機農業を始められたきっかけは?
澤浦社長:
お客様の要望なんですよ。もともとこんにゃく農家で製造をはじめたころから、こんにゃくも有機で作れないのかと話を受けたのがきっかけですね。ちょうどその頃にビオ・マーケットの創業者の関さんとも出会ってお取引が始まりました。
スタッフ:
有機栽培に切り替えていくときの難しさはありましたか?
澤浦社長:
はじめは技術的なことよりも、一番難しかったのは親子関係ですね。親は慣行農業をしていたので、有機農業を始めると言ったとき、農薬を使わないでできるもんかと言われ、すごく対立しました。
周囲の目もあり、1年目は道路から見えない畑の一部で木酢液をずっと撒きながら始めました。それで、1年目はなんとか少しできて、あ、できるんだって。少しずつ広げていきました。数年後、有機農業を始める前の栄養分でバランスの取れていた土壌の余力もなくなってきた後は、ひどいもんでね。その後2年目以降はひどい状態が続きました。
スタッフ:
どのように改善されたのですか?
澤浦社長:
いろんなところへ見に行って、有機農家さんに話を聞きました。当時は、技術的な話よりも根性だ!やり続けていれば良くなるよ!という人もいてね。
中には、ひどい人もいてね、大根畑をみて、「こんなことやってたら大根なんてできないよ。」と言われたので、「じゃあレタスになるんですか。」って言ったらふざけるなって怒られましたね。(笑)
スタッフ:
それでも厳しい状態はしばらく続いたのですか?
澤浦社長:
5、6年はダメだったけど、土壌分析で科学的に見ていかないといけないことを教えてもらって。そこから土壌のミネラルバランスを調べたら全然もう狂っていてダメでね。それを一つずつ紐解いていって徐々に、徐々に、良くなってきましたね。
スタッフ:
それから状態が整うまでどのくらいかかったのですか?
澤浦社長:
2年間くらいですね。マグネシウム不足だったので、必要な資材でミネラルバランスを是正させて極端に変えようと2年くらい取り組みました。今では慣行栽培と遜色ないくらいまで収穫できるようになりましたね。有機農業に切り替えてから、14年ぐらいかかったかな。
スタッフ:
今後も大切にしていきたいことは?
澤浦社長:
農業の産地がちゃんと持続可能な形になっていくことが大事だと思っていますよ。地方が農業としてそこに生活が成り立つような仕組みを作っていくことがすごく大事だと。 そのキーワードが私の場合は「有機」ってことかなと。
農村と都会を繋ぐとか、作る人と食べる人を繋ぐとか、それも「有機」の一つの機能かなという風に私は思っているんですよね。
スタッフ:
逆に変えていく必要があると思うことはありますか?
澤浦社長:
農業生産だけで有機をやろうとするとやっぱり限界があると思うので、それを原料にして加工食品にしたり、お客様が買いやすい、使いやすい商品に発展させていき、その間に関わっている人が生きていけるような形にしていく必要があるなと思いますね。だからうちもこんにゃく以外にも、冷凍野菜や漬物とかも作っていたり、ミールキットなども色々加工品を今後も増やしていこうと思っています。
“できないものは改善し、ないものは自分で作り出す”そんな澤浦社長の姿勢から、有機農業の大変な一面だけでなく、楽しさの方が大きいようにも感じるインタビューでした。貴重なお時間をいただきありがとうございました。
こんにゃくの原料「こんにゃく芋」は、じゃが芋と同じように種芋から増やします。じゃが芋は植え付けから3~4か月で収穫できるのに比べ、こんにゃく芋は2~3年もかかります。
5月頃に植え付けを行い、10~11月頃に収穫します。収穫したものは冬の間は貯蔵し、春になったらまた同じ作業を行います。これを2年または3年繰り返し、ようやくこんにゃくの原料として使えるサイズに成長します。
4年目以降になるとこんにゃく芋の花が咲きます。花が咲くとこんにゃくの原料としては使えなくなるそうです。
一般的なこんにゃく芋でも2~3年かかるのに加え、有機栽培での生産となると植え付け前2年以上は、畑に農薬や化学肥料を使わない期間が必要になるため、さらに長期化します。現在、グリンリーフでは自社農場を含め近隣の農家8軒で原料となる有機こんにゃく芋を栽培しています。全国で栽培されるこんにゃく芋の9割以上は群馬県で生産されており、そのうち有機こんにゃく芋は、1%以下。有機こんにゃく芋の過半数はグリンリーフで栽培されているそうです。
2~3年越しに栽培し収穫できた後、保管・加工にも手間がかかる「有機こんにゃく芋」。生芋のままではすぐに傷み、異臭を放つそうで、加工するまでの間は冷凍で保管しています。もちろん、有機こんにゃくを作るためには、栽培・保管・加工のどの工程においても有機JAS認証の基準に基づいた管理が必要ですので、その記録も大変な作業の一つです。また、グリンリーフでは有機こんにゃくの製造の際、生芋以外に、「荒粉」「精粉」をブレンドしています。「荒粉」とは、生芋を皮ごと粉砕し、荒めに砕いて乾燥させたもの。「精粉」は、皮を剥いた生芋を細かく粉末状に加工したものです。各工程で有機的な生産・管理が必要とされるなか、「生芋」「荒粉」「精粉」の3種を混ぜ合わせて「有機こんにゃく芋」を作っているのは、グリンリーフのこだわりでもあります。
こんにゃくの製造は、冷凍保管している生芋を製造当日の朝5時から解凍することから始まります。100℃近くの温度で約1時間蒸して解凍します。傷みの早いこんにゃく芋は、前日から解凍はできないそうで、製造部門のスタッフさんたちは早朝から作業に取り掛かります。
解凍した生芋は粉砕し、臼ですり潰して、ペースト状にします。粘性の強いこんにゃく芋はすぐに固まってしまうため、お湯を流しながら作業します。荒粉・精粉もそれぞれ水を加えながらペースト状にしていきます。生芋と荒粉はお湯で、精粉は水でないと固まってしまうため、温度管理も重要です。
それぞれペースト状になった3種の原料を撹拌機に入れ、約40分練っていきます。初めは水っぽかったところから粘度が強まり、色も白からグレーがかった色に変化します。25~28℃の温度を保ちながら、原料の状態に合わせて練りの時間や水分量も調整します。1,400㎏分もの原料を一気に練り上げるため、ここでの失敗は致命的。様子を見ながら慎重に練り上げます。
しっかり練り上げられた原料に、凝固剤となる水酸化カルシウムを混ぜ合わせます。創業当時から「ホタテ貝の貝殻」を粉末にしたものを使っています。自然由来の原料であることと、ホタテ貝の貝殻の処理の問題も踏まえて、無駄に廃棄されないように有効活用されてるとのこと。その後、一枚の巨大なこんにゃくになるように型に流し込まれます。
型に流しながら、縦と横にカットされ、食卓に並ぶサイズのこんにゃくに成型します。
80℃以上の炊き上げ槽に流され、30分間茹でながらあく抜きします。生芋の状態で先にあく抜きをして作る方法もあるそうですが、グリンリーフでは最後にあく抜きをします。その理由は、こんにゃくの成分を丸ごと使うためです。
袋詰めをして、検品し出荷されます。
一番気を遣うのは「こんにゃくの弾力と形状」を一定に保つことです。原料の質によっても異なるため、凝固剤の量、温度、練り時間など様々な要素を調整しながら製造しています。こんにゃく芋の品種によっては、水っぽいものや粘りの強いものもあるため、原料の配合も重要になるそうです。機械化できるところは効率化を図りつつも、創業当初の手作りこんにゃくの良さは残して、手間を惜しまず作っています。
おでんには欠かせないこんにゃくですが、煮物のほか、揚げもの、ご飯を詰めていなり寿司風、しらたきはパスタ風など、アレンジレシピを教えていただきました。「有機味付玉こんにゃく」は野菜やお肉を加えて、袋に入っただしと一緒に炊くだけで味付け不要。副菜のイメージのこんにゃくも主役級に活躍です。
便利でアレンジ自在のこんにゃくは、冬場はもちろん、年中いつでも食卓の助っ人です。畑から食卓に届くまで、これほど長い年月をかけて作られていることを知ってしまってから食べる「有機こんにゃく」は味わいも一段と深まりそうです。